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代表ブログ

夏の甲子園
2018.8.10

皆さんこんにちは、社長の井坪です。
弊社も前半の業務が終了し、明日から夏休みになります。
今日は、猛暑の中、現場で汗を流した仲間たちと恒例のビール会を行い労をねぎらいたいと思います。
今年こそは飲みすぎないように注意をして参加してきます(笑)

さて皆様はいかがお過ごしでしょうか。


夏の甲子園100回大会が始まりました!
野球少年だった私は、夏が来ると真っ先に甲子園という言葉が今でも連想されます。
はじめの記憶は小学生頃、TVで見る丸刈りの高校球児の姿が凛としていて、実年齢よりもとても大人に見えたこと...
今では、自分の子ども位の歳の高校球児でありますが、そのイメージが変わらないためか、やはり大人に見えています。


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そう考えると、夏の甲子園はいつでも、あの夏に戻れる場所なのかな〜思うのです。
40半ばのおっさんが、まるであの頃の小学生の目線に戻っているのだから。

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夏の甲子園大会では8月15日、終戦の日の正午になるとサイレンが鳴り、選手や監督、スタンドの観客も立ち上がって戦没者への黙祷をささげています。
これが恒例になったのは、1963(昭和38)年の甲子園大会からと聞きますが、それ以前から8月15日は甲子園と浅からぬ関係性があったようです。
終戦からちょうど一年後、1946(昭和21)年8月15日こそ、戦争激化によって1941年以降中止されてきた夏の全国大会が復活した日。甲子園球場は当時GHQが接収していたため西宮球場での復活開催。


戦後 甲子園.jpg
野球が日常に戻ってきた!といっても、当時はまだ日本中が物資不足の時。
どのチームも、ボールやバット、食料も無かったそうです。
ボールは破れていても縫い合わせ、バットは折れた箇所にテープを巻いて...ユニホームに至っては戦前のモノを真似て選手が自作するなどし、各チームが苦労の上に工夫を重ねて対処し、なんとか野球がプレーできる状態でした。
また、全国から選ばれた代表19校は、米などの食料を持参しての大会入り。勝ったチームは滞在期間が長くなって食料が底をつくことを心配するなど、現在では考えられない状況で大会は行われました。
戦後73年。後世を生きる我々は、こうした先人の苦労があって今、普通に野球ができることを忘れてはならないのでしょう。


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栄養価の高い食事や高度に発展した、科学的なトレーニングを始めとする効率化で、無駄は省かれ野球は進化しました。
高校球児達は、150キロ近い豪速球と多彩な変化球を操るし、打撃ではスタンドにホームランを量産しています。
体格も、道具も、勝つための戦術も進化しました。
怪物と呼ばれるスターが次々と登場し凄いな〜と関心するばかりですが、非効率な時代の精神的な鍛錬も無駄と分類にしないように忘れないでいて欲しいと願います。
本当の進化は、野球というゲームに勝つ為の『新化』と、野球道から学ぶ精神面(心)の『深化』をかけ合わせて成し遂げられるモノだと思っています。
勝つことだけが全てではない高校野球。
そんな美点を極めながら、いつまでも憧れの凛とした高校球児であり甲子園であっていただきたいです。
親愛なる高校球児に敬意を込めて。感謝!